<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>full-time life blog</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/" /><modified>2012-01-22T17:09:07+09:00</modified><tagline>「ねえ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、
　　　　そしてたっぷり水を飲めってね」</tagline><generator url="http://jugem.jp/">JUGEM</generator><entry><title>最近の設備投資とその成果</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991743" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991743</id><issued>2012-01-22T16:48:00+09:00</issued><modified>2012-01-22T07:50:47Z</modified><created>2012-01-22T07:48:00Z</created><summary>これでベーグルが作れる。さすが俺の嫁！！</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120122_4829533.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict"><div><br></div><div>これで</div><div><br></div><div><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120122_4829534.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict"></div><div><br></div><div>ベーグルが作れる。</div><div><br></div><div>さすが俺の嫁！！</div>]]></content></entry><entry><title>三連休（コニカミノルタ満天・仕事・野口白汀遺墨展）</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991742" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991742</id><issued>2012-01-09T22:49:00+09:00</issued><modified>2012-01-09T13:54:52Z</modified><created>2012-01-09T13:49:00Z</created><summary>三連休が終わろうとしています。社会復帰にはなかなかの休日は配置かとは思いますが、世の中には決算対応で仕事している方々もいらっしゃいますのであまり浮かれすぎてもいけません。〈初日〉初日は嫁さんが出かけていたので家で掃除でもしようかと思ったのですが、あまり...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[三連休が終わろうとしています。社会復帰にはなかなかの休日は配置かとは思いますが、世の中には決算対応で仕事している方々もいらっしゃいますのであまり浮かれすぎてもいけません。<div><br></div><div>〈初日〉</div><div><br></div><div>初日は嫁さんが出かけていたので家で掃除でもしようかと思ったのですが、あまりの寒さと前日終電まで仕事していたのがたたって半日昼寝していました。が、夜には久しぶりにプラネタリウムを見に池袋まで出かけてきました。</div><div><br></div><div><a href="http://www.konicaminolta.jp/manten/program/healing/winter_11/index.html"><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120109_4816017_t.jpg" width="400" height="233" alt="" class="pict"></a></div><div><br></div><div>サンシャインの屋上にコニカミノルタ「満天」というプラネタリウムがあります。ぼくはかねてより坂本真綾ファンのため、彼女がナレーションを務めるプラネタリウムをここで上映しているということでチェックしておりました。今回は「夜空の星物語」という題目で、星にまつわる言い伝えなどを聞きながらぼんやり星を眺め、かつ場内に癒しのアロマが漂うというプログラムをやっており、これを見に行ってきました。</div><div><br></div><div>サンシャインといえば水族館がリニューアルしたばかりですが、敷地という意味ではプラネタリウムはほぼ隣接しています。収容人数200人程度の小ぶりなもので、20時からの回に行ったのですが開場間際には空席なしの状態でなかなかの盛況ぶりでした。</div><div><br></div><div>プログラム自体は坂本真綾なぞ知らない人が行ったら「？？？」という感じだったかもわかりませんが、まあまあ可もなく不可もなく、試みとしてはなかなか面白いものでした。そもそもプラネタリウムなんて十年以上ぶりに行ったのでそういう新鮮さは非常にありました。けっこう気軽にこれからも行ってみようかな。</div><div><br></div><div>池袋はごみごみしていますが買い物にも遊ぶにも新宿や渋谷とは一味違ったものがあります。</div><div><br></div><div>〈二日目〉</div><div><br></div><div>しゃもぢさんは残念ながら決算対応のため出社。でもさっさと帰りました。</div><div><br></div><div>〈三日目〉</div><div><br></div><div>今日は大学時代の友人と、当時お世話になった野口白汀先生の「遺墨展」があるということで見てきました。</div><div><br></div><div><a href="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120109_4816016.jpg"><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120109_4816016_t.jpg" width="224" height="400" alt="" class="pict"></a></div><div><br></div><div>上野の森美術館です。白汀先生はぼくが大学の頃に所属していた書道サークルの顧問を務めていただいた書家の方で、<a href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=601523">残念ながら2007年に亡くなりました</a>。熊谷のご実家に伺って直接にお話をさせて頂く機会もあったりしたもので、その頃の自分が触れ合うことのできた数少ない芸術家の先生でした。</div><div><br></div><div>作品はもちろんぼくたちがよく知っている2000年代以降の少数字大書作品だけでなく、それ以前の30代、40代の頃の作品もあり、その変遷を見るのもまた面白いものでした。懐古主義ではなく、一つの個展として、今ここにある作品として対峙したいと思い、じっくりと鑑賞をしました。蘭亭序の中にものちの少数字に通ずる筆さばきを垣間見たり、「回」や「行」の画面を黒ぐろと覆う墨に圧倒されたり…。</div><div><br></div><div>それでもやはり毎日書道展や銀座での個展で展示されていた作品などは、ぼくの記憶にもちゃんと残っていて、懐かしむ気持ちもなかなか隠すことなどできぬものでした。実際に使われていた筆や硯などが展示されているのも、「遺墨展」ならではということなのでしょう。</div><div><br></div><div>会期は今週金曜までと短いので、関係者で未見の方はぜひ。</div>]]></content></entry><entry><title>謹賀新年</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991741" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991741</id><issued>2012-01-01T10:35:00+09:00</issued><modified>2012-01-01T01:38:09Z</modified><created>2012-01-01T01:35:00Z</created><summary>去年も色々とありましたが（世間的にも個人的にも）、今年はさらにいろいろあると思います。当ブログは学生時代の最後辺りからずっと書き続けていますが、相変わらず、変わらず、今年もいろいろなことを書き残していきたいと思います。本年もfull-time life blogをよろし...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20120101_4807599.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict"><br><div><br></div><div><br></div><div>去年も色々とありましたが（世間的にも個人的にも）、今年はさらにいろいろあると思います。当ブログは学生時代の最後辺りからずっと書き続けていますが、相変わらず、変わらず、今年もいろいろなことを書き残していきたいと思います。</div><div><br></div><div>本年もfull-time life blogをよろしくお願い致します。</div><div><br></div><div>朝から千寿久保田でへべれけです。</div>]]></content></entry><entry><title>カレー</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991740" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991740</id><issued>2011-12-28T22:46:00+09:00</issued><modified>2011-12-28T13:49:16Z</modified><created>2011-12-28T13:46:00Z</created><summary>嫁さんより一足早く冬休みとなったのでカレーを作りました。ちなみにぼくは大学時代実家暮らし→入社してから食堂付きの寮→結婚、という経緯を経ているので料理などしたことありません。これから色々とチャレンジしていきたい。自炊できると老後も困らないというし……！</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20111228_4803737.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict"><br><div><br></div><div>嫁さんより一足早く冬休みとなったのでカレーを作りました。</div><div><br></div><div>ちなみにぼくは大学時代実家暮らし→入社してから食堂付きの寮→結婚、という経緯を経ているので料理などしたことありません。これから色々とチャレンジしていきたい。自炊できると老後も困らないというし……！</div>]]></content></entry><entry><title>マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991739" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991739</id><issued>2011-12-27T23:10:00+09:00</issued><modified>2011-12-27T14:10:18Z</modified><created>2011-12-27T14:10:00Z</created><summary>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
			
						これからの「正義」の話をし...の他のレビューをみる&amp;raquo;
		
			
			
								
								マイケル サ...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150503761/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank" title="これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51aRp%2BrPjRL._SL160_.jpg" width="110" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150503761/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank">これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4150503761/" target="_blank">これからの「正義」の話をし...の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								
								<span class="review_desc">マイケル サンデル</span><br />
								
								<span class="review_desc">早川書房</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 945
				</span><br />
				
								<span class="review_desc">(2011-11-25)</span><br />
				
								
								
			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div>&nbsp;を、読みました。<div><br></div><div>なんといっても、昨年末くらいからNHKの「白熱教室」として紹介されてよりブームが続いているマイケル・サンデル。氏の著作の文庫化ということで、本屋で手にしてすぐに購入しました。</div><div><br></div><div>一連のブームはぼくたちに二つのことを教えてくれた、あるいは衝撃であったと思います。</div><div><br></div><div>一つは氏の教授スタイル。あれだけの大規模な講堂で対話を軸にした授業を展開する技術には舌を巻くものがあります。日本の大学で同じ規模のマスプロ授業であれば教壇にあれだけの訴求力を持たせるのはほぼ不可能です。いえ、むしろ「不可能だ」と考えてしまうことがとんでもない先入観、諦めもいいところだということに気付かされる、そのことのはっきりとした反例を目の前で展開されたそのことが多くの人にとって衝撃だったのだと思います。</div><div><br></div><div>氏が学生に対して活発に問いを投げかける。それに対して周りの数に臆すること無く、あるいはこんなことを言ったら笑われるのではないか？　などといった無駄な遠慮もなく討論が始まる。氏はきちんと一人一人の名前を確認して、フィードバックも活発に行いながら議論を誘導していく。シナリオなんて存在しない。議論をするということそのものが授業として成り立っている。このことを稀有な例として受け止めてはいけないのでしょう。このことが、マスプロであっても可能だということにぼくたちは気が付くべきなのでしょう。</div><div><br></div><div>そして大学教育とは、あるいは哲学をするという本当に原初の営みというのはギリシャの哲学者たちが行ったように対話を基軸とすべきだということを教えられます。哲学とは、誰かの考えたことをノートに書き写すことではなくて、目の前にある問題に対して仲間と議論をすることなのだということを、あの番組を通じて知ることができます。</div><div><br></div><div>もうひとつは、「公共哲学」というものが語られる素地が日本にはまだまだ不足していることを否が応でも認識させられることです。本を読み進めるに連れて、アメリカという国がいかに「市民」であること、自分が合衆国を形成する一員であるということを各人に自覚させるかがわかってきます。国の成り立ちが違うのですから、そもそも「公共」を議論の対象にするということ自体がなにか「寝た子を起こす」という発想になりかねない日本とは違うのかもしれません。けれど、現代という時代においてはむしろ各人のコミュニケーションが薄れ、地域の共同体も弱体化しているということは日本においても事情は同じです。この本では「公共」を語る「言葉」についてしつこく解き明かしています。非常に論理的です。ケネディの言葉、オバマの言葉……政治家たちが国民に対してなにが大切でなにが大切でないかを語ったその言葉に対して検証を加えていきます。</div><div><br></div><div>今の日本でそんなことが可能でしょうか？　言葉を検証すべき政治家が今、存在するのでしょうか？</div><div><br></div><div>一方で、「素地が日本にはまだまだ不足している」などと非評価めいた感想も述べてしまいましたが将来的に不足が解消される楽観的な見通しは全く無く、むしろ今の日本の政治家たちの言葉の不足に暗澹たる思いにさせられます。たぶん、無理でしょう。</div><div><br></div><div>と、言っても始まらないので、少なくともぼく自身は自分の言葉を鍛えることをこれからも続けていきたいと思っています……。</div><div><br></div><div>今本は、読んで終わってしまってはいけない、色々な問題を提起してくれます。NHKの番組ともどもおすすめ。</div>]]></content></entry><entry><title>メリー・三連休！！</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991738" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991738</id><issued>2011-12-24T00:11:00+09:00</issued><modified>2011-12-23T15:11:50Z</modified><created>2011-12-23T15:11:00Z</created><summary>たまにはリア充ぶってみるしゃもぢさんでした。</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20111224_4798116.jpg" alt="" width="266" height="400" class="pict"><br><div><br></div><div>たまにはリア充ぶってみるしゃもぢさんでした。</div>]]></content></entry><entry><title>仕事納めにはまだ早いが内省の辞をば。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991737" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991737</id><issued>2011-12-21T21:55:00+09:00</issued><modified>2011-12-21T12:56:51Z</modified><created>2011-12-21T12:55:00Z</created><summary>







仕事の大きな山を越えました。年が明けたらまた一山登らないといけないのだけれど、年内は後そのためのスケジュールを考えることくらいで仕事納めになりそうです。

忙しい時ほど、自分がなんなのかを失わないようにするために自分について考えることが...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[







<p class="p1">仕事の大きな山を越えました。年が明けたらまた一山登らないといけないのだけれど、年内は後そのためのスケジュールを考えることくらいで仕事納めになりそうです。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">忙しい時ほど、自分がなんなのかを失わないようにするために自分について考えることが多いような気がします。反射的な対人反応を繰り返していると、本当に自分が何処かへ消えていってしまいそうで、よく会社の行き帰りに携帯電話のメモ機能を使って自分に問いかけるような文言をぽちぽちと打ち込んだりしては、たまにそれを読み返す、なんてこともしていました。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">そういうのは、たぶんやろうと思ってやることではなくて、やらざるを得ない時に人は、勝手に手を動かているのだと思います。自己防衛本能みたいなものでしょうか。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">長い時間を会社で過ごしていると、一人の時間というのはほんとうに少ないものです。たとえ一人で机に座っていても、いつ誰に呼ばれるかわからない、いつ無茶苦茶な要求を突きつけてくる電話が鳴るとも限りません。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">例えば定時になって電話も鳴らなくなって、周りの人達も三々五々帰っていって、そろそろお腹もすいてくる……なんていうときになって初めて自分一人の作業に没頭できます。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">もちろんこういった時間の使い方は無駄と言う人もあるでしょう。いかに定時内で集中するかが問題なのであって、日本のホワイトカラーの生産性の低さ、なんてどこかで聞いたような話を振りかざされれば、ぐうの音も出ないことは否めません。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">以前の職場は室内でも横のつながりが多く、ちょっと悩んだら色々と聞いて回ったりちょっと会議室にこもって少人数でブレストをやったりというのは簡単にできたものです。今は割と他部署との協業が大きくて、いかに迷惑をかけずに＝現場業務担当部署に時間をかけさせずにひとつの仕事を仕上げていくという方が優先されます。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">これは職場環境や組織体制の違いによるところが大きいのでどちらが良いとも悪いとも言えません。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">ただ、遠廻りこそが近道、ある程度の時間をかけなければブレイクスルーポイントは訪れない、という経験則からも一人でじっくり考える時間というのはどうしても必要です。一人で考えるというのはどういう事かというと、あらゆる想定質問を自分に投げかけるということです。自分がやろうとしていることに対してツッコミを容赦なく入れていき、それに対して一つ一つ答えていくということを独りでやるということなのです。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">そういう時、「この人ならこう言うだろう」というパターンをいくつもストックしている事が必要です。私にも仕事のやり方とか、人への説明の仕方とか色々真似をしてみたい人というのはいて、そういうサンプルを普段から収集しておき、いざという時に自分に向かって「これでどうだ、これでどうだ」と追い立てるために呼び起こします。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">逆説的なようですが、そういう時に自分のオリジナルをちゃんと保っていないとまったく対話にならないです。自分はこう考えるけど、こういう考え方もある、その違いはこうでこうで、こういう場合はたしかに有効だけど、今はそんなことを行っている場合じゃない……ということを一つ一つクリアにしていく。その過程で、鍛錬される、前景として浮上してくる、ノミを穿つことによって現れてくる彫刻がまるで石の中に最初から眠っていたかと見紛うばかりの「自分」の形というものが、スタイルが、立ち現れてくるように思います。</p>
<p class="p2"><br></p>
このブログも、ブログを書くことによって同じようなことを実現できる場所にしていきたいと思っています。自分が何に感動し、何を許せなくて、なにをしてきたのか、すべきなのか。そういうことをちゃんと記録しておかないと、と、なんとなく年末が近づいてくると妙に内省的になってくるものです。&nbsp;]]></content></entry><entry><title>大崎善生『聖の青春』</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991736" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991736</id><issued>2011-12-19T23:13:00+09:00</issued><modified>2011-12-19T14:14:10Z</modified><created>2011-12-19T14:13:00Z</created><summary>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				聖の青春 (講談社文庫)
			
						聖の青春 (講談社文庫)の他のレビューをみる&amp;raquo;
		
			
			
								
								大崎 善生
								
								講談社
								
				
								...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062734249/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank" title="聖の青春 (講談社文庫)"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41CWRVQGKFL._SL160_.jpg" width="113" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062734249/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank">聖の青春 (講談社文庫)</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4062734249/" target="_blank">聖の青春 (講談社文庫)の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								
								<span class="review_desc">大崎 善生</span><br />
								
								<span class="review_desc">講談社</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 730
				</span><br />
				
								<span class="review_desc">(2002-05-07)</span><br />
				
								
								
			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div>







<p class="p1">大崎善生という作家の名前は、ぼくの中ではどうも『セカチュー』以降ある界隈でもてはやされた恋愛小説家の一群の中に位置していたのだけれど、まったくふとしたきっかけから手にした『聖の青春』の文庫本にその名前が記されているのを見て驚愕し、表紙の裏に書いてある著者略歴を読んで二度目の驚愕をした。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">しかし今日ここで語りたい驚愕は、他でもなく『聖の青春』についてである。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">正直に言って、将棋とは縁のない人生であったが、ここにこれほどの人間ドラマがあるなんてことをぼくは全然知らなかった。久しぶりに会った大学の先輩と後輩とがかねてから将棋好きで、そんな話もちらほら出たので、本屋で見かけた『聖の青春』を、読んでみようと思った。名前は知っていた、たぶん彼が亡くなった頃にＴＶなどでその生い立ちくらいは目にしていたはずだ。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">ここには、ぼくの生きられなかった人生がある。逆もまた真なりだ。彼の生きられなかった人生を、ぼくは今いきている。二十九歳で亡くなった村山聖と、同じ年令にぼくは今いる。けれど、彼が成し遂げた業績の１ミリにだってぼくの人生はかなわないじゃないか、なんて口先三寸の人生論を語りたいわけではない。決してそうではなくて。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">変わらずにあることの強さ。変わらずにあることの弱さ。</p>
<p class="p1">変わり続けることの強さ。変わり続けることの弱さ。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">それのどれが正解とも思わないし、どれが優れているとも思わない。ただ、彼の人生とぼくの人生との間に大きな溝がある。これを覗き込む。震える足を無理やり地面におしつけて、ぼくは上半身からその深さに驚愕する。全身に震えが伝播する。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">なりふり構わず好きなことに猛進する、その賭けに乗ることしか出来なかった。それだけが彼の人生であり、その限界から大きく道を拓けた。もちろん誰の命も有限であり、夭折の美学なんて持ち出す必要はない。ただ、最後五連勝の後に五つの不戦敗が続き、途絶える。これこそが「生き切る」ということなのだろうと、考え込んでしまう。どんな瞬間も、将棋と共にあった。どんな瞬間も共にありたいと思うものを信じ続けた。そこに、打たれるではないか。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">忘れていたものを思い出させる。彼はある意味で子供のまま、そのままの勢いで走り抜けた。走りまわることを禁じられたその代償に、将棋盤の上で暴れまわった。そういう種類の勢いを、多くの「大人」たちは飼いならされてしまうんだな。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">『三月のライオン』も読みなおす。この漫画の異常な「熱」ももう少しだけ近づくことができるかもしれない。なぜ将棋なのか？　なぜ「たかが将棋」にこれほどの人間ドラマが巻き起こされるのか？　奨励会や名人といったシステムも、誰かが考え、近代将棋としての制度を作ったのだろう。それも、どこまで恣意的なものなのかわからないじゃないか。これが、会社にいる人間だったらシステムに対して、組織体制に対して簡単に軽口を叩く。あるいは、簡単に組織改正もなされていく。いつまで続く変わらかない枠組みの中で、これほどまでその「勝負」にエネルギーを投入し続ける、その真剣さはあるいは愚かとさえ言う人もあるかもしれない。けれど、馬鹿にならなければ見えない世界がある。バカにならなければ、バカにならないと見えてこない世界があるということも、気がつかない。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">自分が他人にどう見えるか、なんて気にしないで、全身全霊をかけるそのとてつもなく生きた証しがこの本の中にいる。そういう人生は可能だ。そうでない人生も可能だ。そうでない人生を貶めるつもりは毛頭ない。でも、村山聖のような人生もあるということを知っておくことは必要だと思う。</p>]]></content></entry><entry><title>相変わらず…</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991735" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991735</id><issued>2011-11-22T00:49:00+09:00</issued><modified>2011-11-21T15:50:52Z</modified><created>2011-11-21T15:49:00Z</created><summary>&amp;nbsp;囚われる、捕らわれる。自分に、自分を流れる時間に。流れ去っていった時間の多さに、その多さを感じてしまう自分に。同語反復から、反復横跳びして、さらに先へ、進むのであれば、進んでいない自分の姿をとくと目に焼き付けておくのだ。

振り返る、振り返らない...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[&nbsp;囚われる、捕らわれる。自分に、自分を流れる時間に。流れ去っていった時間の多さに、その多さを感じてしまう自分に。同語反復から、反復横跳びして、さらに先へ、進むのであれば、進んでいない自分の姿をとくと目に焼き付けておくのだ。
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">振り返る、振り返らない？　さっきすれ違った人影を追うようにして、いや「ようにして」なんて比喩を使わないで、階段を逆走する、実際に。ぼくはぼく自身の影とすれ違ったのだ、というのがそもそもの勘違いだったかもしれない。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">けれど、出来ることはやればいいし、究極を言えばできないことはできない。ただそれを言うには、その影に向かって言い切る、にはまだ早すぎると思っている。ただ、おそらくは死ぬまでぼくは同じことを言い続けているのだろう。その予感のためだけで、ぼくはもう少しだけこうやって自分自身を文字に起こすという深夜の愉楽──揺籃の中に身を横たえたいと思う。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">すこしばかりのコーヒーが、指を動かす、なんてことはよくあるし静かすぎるこのホワイトキューブの中で、たとえば銀河系の壁紙の中に浮かぶ白い空隙に向かって文字を打ち込み続ける……なんてあまりにも使い古された（あるいは、正直なところ辟易するギークさに）マジョリティーに対するあてつけに、それ以上ぼくは歩みをすすめることをためらう。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">勇気、というのが盲目的なものであるならば、必要ないのだ。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">同じ場所に居続けることも怖いものだが、問題は視線だ。パースペクディヴの角度だ。下を向いていたぼくは過ぎ去る人影にうっかり目を捉えられ、自分を見失う。それで良かったはずだ。ぼくたちはまず一度、自分を抹消する必要があるし、そのことの喜びを生きることの初元として設定しなければならない。──なんてことを言い聞かせた結果、ときどきぼくは我に返る。「我に返る」文字通りに。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">変化、は思い通りには行かないものだ。思い通りに行くものは変化などとは呼ばないだろう。それでも自分の力で変わりたいと相変わらずぼくたちは前を向けずにいる。</p>
<p class="p2"><br></p>
<p class="p1">もちろんそれを悪いこととは思わない、いまだに。</p>]]></content></entry><entry><title>結婚しました。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991734" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991734</id><issued>2011-11-03T16:27:52+09:00</issued><modified>2011-11-03T07:27:52Z</modified><created>2011-11-03T07:27:52Z</created><summary>ずいぶん長いことブログがおあずけになっていましたが、色々と忙しい日々を過ごしておりました。
タイトルのとおりでございます。本日、婚姻届を提出してまいりました。
聞く人が聞けば「まさかあいつが結婚なんて（できるとは…）！」という反応がたいそうを占めるとは...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ずいぶん長いことブログがおあずけになっていましたが、色々と忙しい日々を過ごしておりました。<br />
タイトルのとおりでございます。本日、婚姻届を提出してまいりました。<br />
聞く人が聞けば「まさかあいつが結婚なんて（できるとは…）！」という反応がたいそうを占めるとは思いますが、人生とは本当になにが起きるかわからないものです。このブログでは「生活」ということを意識して運営してまいりましたが、この先さらに「丁寧に暮らす」ということの大切さを自ら体現していくことが出来ればいいかなと、思いを新たにしているところです。<br /><br />
私事ながらご報告まで。]]></content></entry><entry><title>「脱原発」「嫌韓流」と言う人達の曇りなき眼〈まなこ〉について</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991733" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991733</id><issued>2011-08-09T00:55:00+09:00</issued><modified>2011-08-08T16:03:05Z</modified><created>2011-08-08T15:55:00Z</created><summary>震災以降、世の中がどんどんギスギスしてきているのは、たぶんさすがに鈍感なぼくとても気がついていて、日々大新聞の見出しから某巨大掲示板のまとめ記事まで目にしていると違和感ばかりがつのってくる。どこかのタイミングでそれを言葉にしなければならないな、とぼくは...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[震災以降、世の中がどんどんギスギスしてきているのは、たぶんさすがに鈍感なぼくとても気がついていて、日々大新聞の見出しから某巨大掲示板のまとめ記事まで目にしていると違和感ばかりがつのってくる。どこかのタイミングでそれを言葉にしなければならないな、とぼくは感じていて、でもその作業を想像するととてもおっくうで嫌な気分ばかりが増しているのも確かだった。
<br /><br />
ぼくはこのブログではあまり時事ネタはやりたくないし、情報の整理のようなことも時間がないのでやらないのだけれど（世の中にはそういうのが得意な人はたくさんいる）、この種の嫌な感じについては継続的に観測する必要があるという漠然とした思いはあって、あまり拙速に言語化して解決した気にはなるまいと考えていた。それは今でも変わらない。ただこの「わからなさ」を耐え忍んでいるということだけを、描出していきたい。
<br /><br />
何人かの芸能人・著名人は自分の中に眠っていた政治性をうっかり見出してしまって、にわかに「脱原発！」と大きな声でつぶやいてしまったらしい。それは３月当初から今にいたるまで散発的に起こっている。最も政治から遠いと思われていた人たち、あるいは（だからこそ）政治的啓蒙キャンペーンやある種の企業の宣伝活動に対価と引換に駆り出されてきた人たちが、「もうこれしかない、デモに行くしかない、仕事辞めて掛けるしかない」と息巻いて頭に血を上らせている。
<br /><br />
おそらく彼らは自らが特権的な立場にあるという意識が希薄なのかもしれない。自らの知名度をもってすればデマゴーグなど容易であり、組織的にメディアに対して働きかけることだって可能である、なんていうところまで考え抜いて自らの立場を表明している人がいれば、誰か教えて欲しい。
<br /><br />
ぼくは別に今さら「脱原発」だのと言いたいわけではない。ぼくは別に誰かを批判したいわけでもないし、そういうことを念頭に置いてこれを読んでほしくはない。国が悪いだの東電が悪いだのと言いたいわけでも決してない。ただ、そういうことを真顔で、それが絶対的に正しいと大真面目に信じて疑わずに「脱原発」と言ってのける人たちに対する、どうしようもない違和感を告白するだけだ。
<br /><br />
だって彼らが今信じているのと同じくらいの真摯さを持って、どこかの誰かが原子力発電所を建て始めたのだ、きっと。科学技術の進歩が核の安全利用を可能にした、しなければならない、化石燃料の依存から脱しなければならない、と信じて。その「正しさ」はたぶんいま太陽光発電や風力発電が「正しい」と信じているのと同じくらいの「正しさ」だったんじゃないのだろうか？
<br /><br />
風力発電のあの大きな風車が、山の上や海岸に立ち並ぶ「完成予想図」を見て景観破壊だと息巻いていた人たちは今、どうしているのだろう？　原子力は悪で、自然エネルギーは善だなんて誰が決めたのだろう？　結果的にそうであったとしても（そうである可能性は高のだろうけれど）、あえて反対側から検証することをもう一度しなければ、原子力しか未来は担えないと刷り込まれていたことの反省点に立ったとは到底思えない。
<br /><br />
たとえば話は全く変わるようだけれど、最近のアニメ『とある科学の超電磁砲』『魔法少女まどか★マギカ』などを見ていても、感じるのは背景にある風力発電の風車の異様な多さだ。おそらくぼくよりもずっと若い世代に対して、未来の都市の姿（の正しいあり方）というのはこういうものだというすり込みは既に始まっている。すり込む側もすり込もうとしてすり込んでいるわけではないだろう。「近未来的な雰囲気＝風力発電の風車」という図式を意識の前景にまで浮上させる必要は、少なくともモノを創っている人間ならばあるだろう。
<br /><br />
今後もしも芸能人・著名人がこういった原子力代替エネルギーの啓蒙活動に際して政府なり企業なりからお金をもらって出演することがあれば、ぼくたちはもっとそういったことに懐疑的な視線を送る必要がある。かつて原子力を推進したのと同じ手法で自然エネルギーを推進するのであれば、そのあまりの歴史性の欠如にぼくは涙が出るくらいむせ返ってしまうことだろう。繰り返すけれどもぼくが違和感を感じているのは「脱原発」に対してではない。「脱原発」が正しいと信じて疑わない人たちの曇りのない純粋さに対してだ。
<br /><br />
仮定の話が多すぎたかもしれない。しかし現に世界で唯一の被爆国である日本という国が60年あまり経ってから「脱原発」なんて言い始めることのある種の薄ら寒さ、これは少なくともしっかりと感じ、その自己矛盾、自己欺瞞、あるいは自己批判の欠如に対して苦しんで苦しんで苦しみ抜く必要はあるだろう。それもしないうちから昨日まで湯水のように電力を使っていた小市民が軽々しく口を開くべきではないのではないか。
<br /><br />
村上春樹は「核に対してノーと言い続けるべきだった」と言う。全くその通りだ。彼の発言にだれも反対はしない。「いやいやいや、核に対してイエスと言うべきでしょう」なんて誰もつっかかっていかない。そのことが既にもう、安全圏からの発言じゃないのか。だれも反対しないことを言っても、その時点で既に声を張り上げる必要なんて無いのだ。それとも「あなたの物事に対する考え方は非常に独創的で示唆に富んでいます。いやあ、素晴らしいレトリックにしびれましたよ」なんて言って欲しかったのだろうか？　これは別に村上氏に限った話ではないのだけれど。
<br /><br />
外から見れば「お宅の国はこの60年間、何をやってきたの？」と、言われても仕方がない状況だ。もちろんひとつの国家・歴史を擬人化して60年前から引き続く同一の人格をでっち上げることのロマンティシズムは危険だ。
<br /><br />
しかしぼくたち個人は一つの人格としてたとえば義務教育の中で歴史を学び、そこから教訓を得てきたはずだ。戦国武将の生き様を色眼鏡にして現在のサラリーマン生活を見通すのもいい。ローマ人の活躍に心を踊らせ、一方で滅ぼされていった文明や民族に思いを馳せる。第二次世界大戦、あるいはヴェトナム戦争、イラン・イラク戦争から平和を学ぶ。現在という一点においては、ぼくたちはこれまでのすべての歴史を背負った上で物事を判断していく。それは人間が人間として生きる上での責務だろう。だからぼくたちはすぐにこの地震という災厄から多くの教訓を得ている。そして解決のできない問題に対して様々なアプローチをしようとしている。
<br /><br />
ある日を境にしてポリティカルコレクトネスが百八十度反転するということは、やはりこれまでも繰り返されてきたし、ぼくたちは自国の歴史においてもついこの前それを体験したばかりではなかったのか。正義なんて大嫌いな言葉は使いたくないけれど、ぼくは絶対的な悪というのは認めるけれど絶対的な正というのは存在しないんじゃないかと疑い続ける。
<br /><br />
懐疑主義転じてニヒリズムに陥ることは潔しとはしないけれど、この2011年が抱える「わからなさ」「どうしようもなさ」に、もう少し辛抱強く付き合えないものかと思う。ツイッターで脱原発をつぶやく前にやることはいくらでもあるんじゃないかと思う。「脱原発」なんて思考停止の魔法の言葉を持ち出す前に、もっと自分の言葉で考えてみようよと、思う。事実を捉え、それに対して自分がどう考えるのか、受け止めるのか、もう少し時間をかけて、周りのざわめきにはあえて耳を貸さずに静かな場所で見極めようよ、と思う。きっとすぐに解決できるものではないのだから解答をあくせく探し回るのではなくて。
<br /><br />
ここからは半分余談。
<br /><br />
「脱原発」と言っている人たちの純粋さは、フジテレビを批判する人たちの純粋さにもどこか通ずるものがある。「がんばろう日本」の掛け声がいつの間にか「韓国ドラマは見たくない」にすり替えられてきている。9.11後のアメリカ国内の様子をぼくは直に知る者ではないけれど、国難にあるときナショナリズムが高揚するのはある程度仕方が無いのかもしれない。
<br /><br />
もちろん「がんばろう日本」というのは良心的なナショナリズムであるし（三島であればお茶漬けナショナリズムと茶化すところなのだろうけれど）、こういう気分は、「震災復興支援」があらゆるものの枕詞になるくらいファッション化（陳腐化？）するまで浸透したほうが良い面も多いだろう。
<br /><br />
けれど、フジテレビの問題には悪しき民族主義が奇妙にすり替えられて跋扈している。あれほど冬のソナタにはまった国民性が一気に反対を向いている（一部の風潮ではあるのだろうけれど）。これはいったいなんなのだろう？　国家陰謀説なんて本気で信じているのだろうか？　今さらテレビだけがニュースソースだという人なんていないだろうし、ましてや一日中フジテレビしか見ない人なんていないだろう。
<br /><br />
韓国偏重となっている放送内容に対してその偏りを多くの人が指摘しているのであれば、それが既に抑止力として働いているのだし、それ以上危惧するようなことが本当にあるのだろうか。ぼくは少なくとも「オカシイ」という感覚自体が正常に発動していることについては疑問を持たないけれど、放送内容にまで視聴者が言及するに及んでは、「俺じゃない、国民がそう言っているんだ」と言ってのける政治家の粗悪な論理のすり替えに似た醜さを感じる。
<br /><br />
どこかの国みたいに国営放送しかニュースソースがなくて、その内容が国粋主義一辺倒で、しかも誰もそれに疑問を持たないということであればデモでも何でもやってこの由々しき事態を打破すべきだろう。しかしそういう話ではない。多チャンネル時代を標榜する日本という国の、数ある民間放送の中のたかだか一社の話ではないか。外国人株主比率のこともよく併記されるけど、その「外国人」とやらは韓国政府だったりするのだろうか。とにかく、まったくもってロジカルとは言いがたい言辞が弄される場面が目について仕方がない。見なければ良い？　よろしい、これについてはもう口をつぐもう。
<br /><br />
繰り返しになるけれど、ぼくは一択という態度が信頼できないのである。彼らの曇りなき眼が排除の論理を付き従えていて、恐怖するのである。わが町の原子力発電所が日本の製造業の高まる電力需要に応えてきたのだと胸を張る町長を、ぼくたちは笑えるのか？　電線の下を通るときには扇で頭をさえぎったという明治の人々を、同じように高圧電線の下に住むと癌になると信じてしまうぼくたちは笑えるのか？　「冬のソナタ」ブームの時に、隣国のドラマの中に古き良き日本の倫理観道徳観を深読みした評論家を笑えるか？　日韓ワールドカップ開催で青いTシャツを着て熱狂していたのは誰だったのか？　100年とは言わないが、少なくとも昨日今日生まれたわけではないのなら、自分の中にある歴史性についてもっと批判的な視線を向けるべきなんじゃないのか？
<br /><br />
ソンタグの言う「自己検閲」。今の日本はたぶん、「それは言いっこなしね」という言葉の囲い込みがものすごい勢いで拡充している。「なんだかんだ言っても原発はやっぱり必要でしょ？」「韓国ドラマって日本の形骸化したトレンディドラマよりもよっぽど訴求力があるよね」なんてことを（ぼく自身の本意じゃないですよ）言えない、封じられている状況で「脱原発」なんて言ったってなんの意味も内容もないのだ。発話とは賭けだ。リスクを負わない言葉なんて、誰の心にも響かないのだ。]]></content></entry><entry><title>河童忌</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991732" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991732</id><issued>2011-07-24T16:48:00+09:00</issued><modified>2011-07-24T07:51:42Z</modified><created>2011-07-24T07:48:00Z</created><summary>
</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595643.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br /><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595644.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br /><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595645.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br /><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595646.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br /><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595647.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br /><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110724_4595648.jpg" alt="" width="400" height="266" class="pict" /><br><br />
]]></content></entry><entry><title>自分の頭で考えるということ──宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991731" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991731</id><issued>2011-07-18T17:28:00+09:00</issued><modified>2011-07-18T08:28:33Z</modified><created>2011-07-18T08:28:00Z</created><summary>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
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								宇仁田ゆみ
								
								祥伝社
		...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396765258/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank" title="うさぎドロップ 9  (Feelコミックス)"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51A6mQ0lCkL._SL160_.jpg" width="114" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396765258/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank">うさぎドロップ 9  (Feelコミックス)</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4396765258/" target="_blank">うさぎドロップ 9  (Feelコミ...の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								
								<span class="review_desc">宇仁田ゆみ</span><br />
								
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			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div>既刊九巻で本編は完結している。物語は、死んだ祖父の残した隠し子である「りん」を息子である「ダイキチ」が引きとって高校生になるまで育て上げる過程を描いている（途中、十年ほどすっ飛ばされているのには驚いたけれど…）。ここでは最終巻の「オチ」については、さほど重要ではない。
<br /><br />
とにかく驚かされるのは、この漫画の登場人物たちが常に「自分の頭で考える」ということを徹底しているからだ。大きなどんでん返しや派手な演出があるわけではない。特に四巻までで描かれる、結婚もしていない「ダイキチ」が子育てに奮闘する様子というのは、どうして良いかわからないことの連続に立ち向かうことの必死さがよく伝わってくる。彼は都度立ち止まり、あるいは全速力で走りながら「どうしたらいいんだ？」と問い続け、時には無知を丸出しにしてわかりそうな人に「わからないので教えて欲しい」と持ちかける。そうして次第に自分の中に哲学を組み立てていく。会社に入ったときに自分は広い世界に足を踏み入れたと思っていたけれど、保育園に子どもを連れて行ったときに世の中というのは大卒の総合職だけで回っているのではないというごくごく当たり前のことに気がついていく。子育ては決して自己犠牲ではないということに気がついていく。それを追いかけるようにしてもう一人の主人公「りん」は五巻以降、自分を取り巻く生い立ちや「ダイキチ」との将来の関係に苦悩していく。もちろん自分ひとりで抱え込むという類のものではなく、相談相手を探し、見つかれば全力でぶつかっていく。大切なのは、これが一方通行のものではないということだ。ダイキチはりんがわからないことは教えるし、りんもダイキチのわからない自分の気持をちゃんと説明する。
<br /><br />
人は二十代をもう一度送れないわけだし、三十代になるのは初めての経験だし、親だって四十代になるのは初めてなのだ。そこに十分な準備などありえないし、「三十代は二回目なんで、今回は全然ヨユーです」なんてことはありえないのだ。それぞれが皆初めての経験で、戸惑って、どうしていいかわからなくなる。死ぬまで、それぞれの年齢で、人はそれぞれの困難や悩み事に立ち向かっていかなくちゃならない。逃げて至って仕方が無いのだ。自分の頭で考えて、考えてもわからないことは「考えてもわからないので教えてください」と人に聞けばいい。そしてもしも自分が誰かから「わからないから教えて欲しい」と問いかけられたら、全力で答えてやればいい。
<br /><br />
それをちゃんと出来るのが大人になる、ということなんだろうな。それが年齢を重ねるということの、責任なのだろうな。明日なにが起こるかわからない。今回は初めてだからできなくても仕方がない、なんて思っているうちはダメなんだ。一回きりなんだ。この今の感情も、境遇も、環境も、時間も。そこに全力で当たって、一回きり味わいつくさなければ生きていることにはならないんだ。
<br /><br />
この漫画は、なにかとんでもない事件が起こってそれに巻き込まれ運命に翻弄される人間の弱い姿、みたいなものにはまったく興味はない。それは生い立ちや家庭環境の特殊性をこの作品がいかにモチーフにしていようとも、それによって導きだされているメッセージはまったく違う。登場人物たちは生活のレベルで、自分がなにをしたら幸せになれるのかを真剣に考え、少しずつ自分の足を使って実践していく。少しの勇気が大きな結果をもたらすということを彼らはちゃんと知っている、ということが大きな勇気を読者に間違いなくもたらしてくれる良書。
<br /><br />
<a href="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110718_4586971.jpg"><img src="http://full-timelife.img.jugem.jp/20110718_4586971_t.jpg" width="224" height="400" alt="" class="pict" /></a>]]></content></entry><entry><title>学問の喜びここにあり　土居義岳『言葉と建築』</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991730" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991730</id><issued>2011-07-17T07:07:00+09:00</issued><modified>2011-07-18T00:57:44Z</modified><created>2011-07-16T22:07:00Z</created><summary>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				言葉と建築―建築批評の史的地平と諸概念
			
						言葉と建築―建築批評の史的地...の他のレビューをみる&amp;raquo;
		
			
			
								
								土居 義岳
								
								建築技術...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4767700795/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank" title="言葉と建築―建築批評の史的地平と諸概念"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51lr-erBriL._SL160_.jpg" width="112" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4767700795/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank">言葉と建築―建築批評の史的地平と諸概念</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4767700795/" target="_blank">言葉と建築―建築批評の史的地...の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								
								<span class="review_desc">土居 義岳</span><br />
								
								<span class="review_desc">建築技術</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 3,990
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								<span class="review_desc">(1997-05)</span><br />
				
								
								
			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div>学生時代にはまったく興味のなかった建築というものにいつの間にか（本当は色々と書けばきりのない変遷があるのだけれど）興味が出て、これまでも色々と関連する本を読んだりしてきましたが、本書は久しぶりに建築という分野に限らず、エキサイティングな内容を持っていました。一言で言えば、学問をするということの初元の喜びを思い出させてくれるというか、それくらい言い切っても良いと思える良書です。
<br /><br />
とにかく「言葉」と「建築」との関係について歴史を掘り起こし、丁寧に「言葉」についてしまった手垢を洗い落とし、今ではすっかり自明と思われる関係性の根幹を問い直していく。筆者もあとがきで述べているように優れてフーコー的な態度を建築批評という分野で縦横無尽に活躍させています。たとえば「空間」という言葉、「様式」という言葉、日本対西洋という図式、ヘーゲル的な思考の枠組み……こういった批評のための道具立てを、それを自明の概念とせずに、「なぜぼくたちはこの言葉を使ってこのことについて述べるようになったのか？」としつこく何度も問い直していきます。
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思えば、西洋からの輸入学問であれば、まずはそこで語られる言葉そのものが日本にはない概念だから、言葉そのものについて定義やそれを使うようになった背景を問いただしていくことが、人文系学問の存在意義であるようにも思います。流行のちょっとコムズカシイ学術的隠語を散りばめて「批評の新たな地平を切り開いた！」なんて言われる「高度」で「難解」な文章も、これはこれで言葉の新しい組み合わせを発見するという意味で面白いものはありますが、学問特有の泥臭さとは別次元の、各作家のテクニックの競い合いであるとも言えます。
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むしろそういうスマートさよりも、「広場、という言葉は欧米の都市論ではこれこれこうで、日本でこの言葉がタームとして定着してきたのは広辞苑の第◯版でようやく建築学的な意味での説明が付加されているところからすれば…」と愚直なまでに過去を解きほぐしていく丁寧な作業こそが尊いし、読者としてこれを読み進めることで同じプロセスを再現することができます。今では自明のものとして扱われている物事の根源を問うことによって手垢にまみれた言葉たちも息を吹き返すし、使うこちらとしても自覚的ならざるを得なくなります。
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たとえば自転車の乗り方のように、一度体に染み付いてしまった事柄をあらためて問い直し言語化することによって＝意識化することによって、今までスムースに行っていてことが急にぎくしゃくとしてしまうかもしれません。でももう一度、小学生に自転車の乗り方を説明するように自己に対してフィードバックをし、その上でペダルを漕ぎなおす。その時に見える風景というのは、まるで同じようでありながらまるで違った意味をもう一度持ち直すのだと思うのです。
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<br />]]></content></entry><entry><title>スーザン・ソンタグが好き過ぎて</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.fulltimelife.net/?eid=991729" /><id>http://blog.fulltimelife.net/?eid=991729</id><issued>2011-07-08T20:19:08+09:00</issued><modified>2011-07-08T11:19:08Z</modified><created>2011-07-08T11:19:08Z</created><summary>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				火山に恋して―ロマンス
			
						火山に恋して―ロマンスの他のレビューをみる&amp;raquo;
		
			
			
								
								スーザン・ソンタグ
								
								みすず書房
								
		...</summary><author><name>しゃもぢ</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622045281/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank" title="火山に恋して―ロマンス"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51R70JZ0ZKL._SL160_.jpg" width="108" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
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		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622045281/fulltimelifeb-22/ref=nosim" target="_blank">火山に恋して―ロマンス</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4622045281/" target="_blank">火山に恋して―ロマンスの他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								
								<span class="review_desc">スーザン・ソンタグ</span><br />
								
								<span class="review_desc">みすず書房</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 4,200
				</span><br />
				
								<span class="review_desc">(2001-04)</span><br />
				
								
								
			</div>
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			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
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</table>
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</div>リベラルということを生涯貫き通した思想家。9.11以降その発言からナショナリズム吹き荒れるアメリカ国内ではだいぶ顰蹙を買ったそうですが、正しいことだけを、あるいは人々を勇気づけることだけを言い続けた稀有な思想家、スーザン・ソンタグ。
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邦訳で既刊の著書はほぼ全て読みつくし、そういえば分厚い小説も書いていたな、なんてことで、『火山に恋して』をようやく読み終えました。
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ヴェスヴィオを何かの象徴に据えながら三人の歴史的人物のロマンスを描いた、訳者あとがきにあるように「どうしてソンタグがこのモチーフで小説をものさなければならなかったのか？」と首をひねってしまうほど本格的な評伝にも仕上がっています。
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オークションで始まる冒頭は『オペラ座の怪人』にも似た大きなドラマ始まりを予感させる。そして次第にぼくたちはそこで語られるヴェスヴィオが、三島由紀夫の金閣寺のようにも読めてきます（作中にも金閣寺が言及される箇所が一箇所ありました）。最後には『藪の中』のようにそれぞれ三人称で語られてきた人物たちが独白を始める。人物との距離が急に肉薄する。そして最終章に唐突に登場するエレオノーラ（ナポリの革命家らしい）の独白は、まるでソンタグが描写の後ろに寝ていられずにマイクを奪い去って高らかに演説をぶちあげているかのよう。
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構成の緩さはあるのでコラージュのように、CDを聞くみたいにして読んでいくと楽しめるのではないかな。あまり海外の小説は読まないのですが、十分に楽しめました。登場する人物たちの交歓は史実らしいので、イタリア史とか勉強すればもう少し解釈の幅も広がるかもしれません。
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スーザン・ソンタグについてはなにを置いても『良心の領界』の序文「若い読者へのアドバイス」でノックアウトされてからぼくの中の「全著作を読むべき作家」のリストにランクインしました。多くの人が同じことを思っているようなので、検索してみれば短い文章なのでどこかにあるかもしれません。
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言葉を信じることができるというのは素晴らしいことだと思う。ぼくたちはたとえば会社の中で、相手の言ったことを疑い続けることに馴らされすぎています。好きな作家をただただ読むことの幸福は、言葉への全幅の信頼という揺籃に身をあずけることの快楽なのかもしれません。]]></content></entry></feed>
